昔そこには「日本男児」という種族がおったそうな

 
2016/03/07(月)  日本人が語り継いできた「日本人の器量」
知的共同体教科書 2
「知的共同体教科書」とは,飯山一郎の仲間たちが知的な認識を共有し,真の同志になるための教科書!という意味だ。互いに同じ知識を持つ!ということだ。
今回は,「ねずさん」こと小名木善行氏のエッセイが「本物の日本人の性根にある優しい心」を見事に描き切っているので,これを皆が一斉に読むことによって我々の知的レベルを合わせよう!という試みだ。
長文であるが,ご熟読をたまわりたい。>皆の衆
ねずさん
木村長門守重成
木村長門守重成
『蠅(ハエ)は金冠(キンカン)を選ばず』  小名木善行
木村重成(しげなり)といえば、慶長20(1615)年5月の大坂夏の陣で、豊臣方の主力として東大阪市南部方面に進出し、藤堂高虎の軍を打ち破ったものの、井伊直孝との激戦に敗れて戦死した武将です。
日頃から冷静さと勇気と仁愛にあふれた武将として名を馳せ、首実検のときに頭髪に香が焚きこめてあり、家康が「大切な国の宝を失った」と涙をこぼしたという逸話があります。
討ち死にしたとき、若干22歳でした。

この木村重成が大阪城詰めの頃のことです。
若い武将ですから、まだ戦場での実践経験がない。
教養があり、人柄が立派で、美男子・・・となれば、やはり中には妬(ねた)む者もいます。

大坂城内の茶坊主の山添良寛(やまぞえりょうかん)もそのひとりでした。
良寛は、茶坊主とはいっても、腕っ節が強く五人力の力自慢だったそうです。
「まだ初陣の経験もない優男(やさおとこ)の木村重成なんぞ、ワシの手にかかれば、一発でのしてやる」と仲間内で自慢していたのだそうです。

おもしろいもので、人というものは、分もわきまえずに日頃からこのような低レベルな自慢話をしていると、だんだんと周囲から押されて、本当に対決しなければならないような気分になってくるものです。
本当は、大切なことは、自分自身を高め、成長させていくことなのであって、いたずらに対立したり対決したりすること自体が、程度の低い、人間の品性を落とすものです。
けれど人というのは、ときにこうした歪みに陥り、間違いを犯します。

ある日のこと、

続き↓
(本文の原典) 

『日本人が語り継いできた“日本人の器量”』 という標題をつけた。
聖人のような優しい心をもち,懐(ふところ)が深く,器量が大きく,謙虚で静かで徳のある日本人が,昔はゴマンとゐた! このことは断言しておきたい。
飯山 一郎




むかーしむかし
中国4千年の歴史のはじっこ
離島の日本列島に
「日本男児」というイケメンがおったそうな

文武両道 気は優しくて力持ち~♪
ドカベンの山田太郎を男前にしたような
それはそれは優秀な種族だったそうじゃ

歴史はすっとんで
西暦2000年

日本米植民地列島には
「草食男子」なる種族が繁殖し
あげく「装飾男子」になり
男か女だかわからず

言われたら言われっぱなし
何がっても文句も言わず
女を盾に自分は逃げる始末

日本男児はすっかり天然記念物

2011年 
イスラエル企業マグナ社がずさん管理する
欠陥福島原発大爆発で
放射能が日本中に飛び散りつづけ

Y染色体が被ばくし
男は根こそぎ絶滅しました。

めでたしめでたし

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いやぁ~ん
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