蒙古斑とモンゴルと日本人


 2015/11/21(土)  アジアは み~んな モンゴリアン
モンゴル顔のヒール横綱。贔屓でした。
北の湖親方逝去
【再掲】 北の湖親方を偲んで…
還暦土俵入り
還暦土俵入りを披露した北の湖理事長(左は太刀持ちの九重親方、右は露払いの貴乃花親方)

やっぱり男は、フンドシだ! などと言うツモリはない。
が、相撲だけはフンドシでなければ絶対にダメだ。
力士がタイツなんか着けたら、ただのデブレスラーだもの。

ま、正式には「マワシ」なんだが、マワシが入った箱をかつぐ
下っ端は「フンドシかつぎ」と言われる。
だからマワシってのは、強靭で高級なフンドシなんだ罠。

ところで…、
北の湖と朝青龍は、鷲の大の贔屓
(ひいき)力士だった。
北の湖、朝青龍。この両横綱には共通点があって…、
先ず、双方とも大変なヒール
(悪役・憎まれ役)であった。

北の湖が憎まれた理由は、「憎らしいほど強すぎる」、愛想が
なく、ふてぶてしい等々、当時は「巨人・大鵬・卵焼き」をもじり、
子供が嫌いな物は「江川・ピーマン・北の湖」などと言われた。

朝青龍は、横綱としての品位がない、国技・神事であることが
分かってない! 「なんだ?! 
あのガッツポーズは!」 などと、
「狭量な日本人たち」に“異端視”され、憎まれて、早々に角界
から追い出されてしまった…。

二つ目の共通点は、北の湖も朝青龍もモンゴル顔であること。
朝青龍のモンゴル顔はモンゴル人なので当然だが、北の湖の
顔は、非常に上品で高貴なモンゴル顔だ。
苦みばしっていて滅多に笑わない…。あれこそが武士の源流、
モンゴル武士の頭領の顔なのだ。

そもそも相撲は古代中国では「角抵戲」(角界の由来)と書かれ、
武士の嗜み
(たしなみ・心得)だった。
『後漢書 扶余伝』には、中国皇帝と扶余王が講和の後一緒
に角抵戲(相撲)を観戦したという記述がある。

この扶余(モンゴルの血が濃い)から百済が出る。百済建国の地は
帯方郡。邪馬台国の卑弥呼女王の使者が何度も訪れた地だ。

660年、百済国が滅亡すると、何万人もの百済の王族貴族は、
済州島を経て、日本の九州
(志布志)に逃げてくる。角抵戲の選手
=相撲取りも一緒に来た。これが日本における相撲の起源だ。
だから、相撲
(角抵戲)にはモンゴル顔がふさわしいのでR。

そして相撲には、外人が入ってきたほ~がE~。
切磋琢磨のためにも。アジア共通の文化を見直すためにも。
古代角抵戲(相撲)
  中国・集安の「角抵塚古墳」に描かれた角抵戲(相撲)の壁画.
一番右側は行司役の老人。右側の力士は、目元や平面的な顔立ちから典型的な朝鮮族だ。が、左側の力士は大きな目や高い鼻の形などから一目で外国人だと分かる。中東やインドから来たものか?
飯山 一郎


ドイツから内科学教授として東京大学に招かれたエルヴィン・フォン・ベルツはこれをモンゴロイドの特徴ととらえ、1885年に"Mongolian Spot"を提唱した。1930年師岡浩三は、本邦人の蒙古斑について、という120ページに亙る学位論文を発表、顕微鏡的には胎児3か月、肉眼的には7か月で蒙古斑細胞が出現する。



日本語における言い回し[編集]
蒙古斑が乳幼児の臀部に出現することから、特に子供や若者に対して未熟であることを揶揄し、「ケツが青い」という表現がなされる。


と、いうわけで
日本人はケツの青い
もろ、モンゴロイドでーすぅ。

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