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王のあだ名

◆2013/12/16(月) 熊本の新井信介の勉強会で話題沸騰!

中国の正史 『隋書俀国伝』 「阿蘇山」の記載がある

あまたりしひこ

小野妹子.「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」という国書に隋の煬帝が激怒!という歴史は誰でも知っている.このことは『日本書紀』にも,中国の正史である『隋書俀国伝』にも載っている.
その後,この問題はどーなったのか?





小野妹子は,日本書紀によれば推古天皇16年(608年)に,隋の使者(答礼使),裴世清を伴って帰国した.
で,裴世清は小野妹子の国を良~く視察して隋に帰国し,日本の様子を隋の政府に克明に報告した….

ところがである.
裴世清の報告をもとに書かれた中国の正史『隋書俀国伝』には,大変なコトが記載されていた.

小野妹子の国には,「阿蘇山」という火山があって,火ばかりでなく石も吹き上げていた!というのだ.

それで,小野妹子の国は,阿毎多利思比孤(あまたらしひこ)という男性の王が「邪靡堆(やまと)」という王都にいて国を支配しているというのだ.

推古天皇という女帝がいて,聖徳太子が補佐していた,などということは一切書いてないのだ.中国の正史には.

ハッキリ言えば,推古天皇という女帝は存在しなかった! ということだ.

もっといえば…,
『日本書紀』が記述した歴史は信用出来ない! ということだ.

以上は,熊本の新井信介の勉強会での鷲の発言である.

これには博覧強記の新井信介氏も,「うーん!」とウナっていた.
【結論】 7世紀初頭,小野妹子を遣隋使として隋の国に派遣したのは,奈良のヤマト王朝ではなく,熊本の近辺にあった「俀(タイ)国」という国だったのでR!

http://grnba.secret.jp/iiyama/index.html#st12161



日本語は日本字じゃなく、漢字を使います。
漢字は絵です。
人 とか 山 とか
絵が字になり、字に意味がある。

日本語と漢語は言語が違うから
日本語で使う漢字は、
必ずしも意味と読みが一致しない。

日本語の漢字は当て字が多い。

この大前提がないと
古事記も日本書紀も読み間違う。

歴史は文字と意味が合致した
三国志を読み解くしかないのだ。

あま の たりしひこ

こう呼ばれていた人のことを
中国人は
阿毎 多利思比狐 と書いた。

阿蘇の阿
毎日 毎
多利思 思考の利が多く
比狐 狐(変幻自在の象徴)と比べるほど

良く噴火する阿蘇に
賢い男がいて
それが王です


で、家臣たちは王の正式名称では呼ばず
あだ名というか、役職というか、で呼びます。
正式名称は霊験あらたかなものなので
おいそれと口にしてはいけません。

重箱の中の秘法みたいなもんで
重要文化財みたいなもんで
本人しか使えません。

あま の たりしひこ
と、家臣たちは呼んでいた。

正式名称は、なんでしょう?


雑魚庶民に知らせる筋合いもない、ってことかもね
名前も秘宝も、
自慢するものではなく
先祖代々受け継ぐ物であって

そこんところが、
転売屋、盗掘族、商人、とは
根本的に発想が違うのれす

お宝や地位や名誉を自慢するのは、
成り上がりのコンプレックスのなせる技ですw


天空の城ラピタでも、
王女は正式名称を誰にも言うなと
教えられていた

そういうことです。
なかのひとがぁ~
いやぁ~ん
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